2012年6日7日

「ハードル」

今年は、初めて行く場所で演奏する事が多い。
世界は広いので、まだ行った事がない場所はたくさんあるのだけれど、
ここ2週間で、クアラルンプールや広州やオーストラリアなど、
新しい場所にたくさん行った。

初めてのプロとしての海外公演は、
2002年の12月のウンブリアジャズフェスティバル。
それからもうすぐ10年。
10年なんていうのは、あまりに短くあっという間で、
日々一生懸命過ごしているうちに過ぎてしまうものだが、
それでもそれなりの時が経ったと感じる瞬間がある。
最初の頃は、ステージに出て行くと
「なんかちょこっとしたのが出て来た。しかもアジア人」という印象で、
みんな不安げで、最初の曲でその不安バリアをどう取り除くか、
という事が焦点になっていた。
でも今は、人が待っててくれる。行った事がない場所で。
ステージに出た瞬間、「ヒロミー」という声が聞こえたり、
大きな拍手や歓声が聞こえたりして、
友達もいないはずの街で、友達が一気に増えたような感覚というか、
暖かくて、本当にありがたい気持ちでいっぱいになり、涙がこみあげる。
日々のライブはもちろん、航空券取りから、ツアーの段取り、
傾いてるステージで演奏して、アキレス腱が筋肉痛になった事、
機材が揃ってなくてプロモーターとしたけんか、
階段を着け忘れたステージに、イントレをつたってよじ上った事、
全ての積み上げてきたものが形になる、
10年やってきて良かったと思う瞬間だ。

その喜びも束の間、「まだ一音も弾いていない」という事実から、
前よりずっと高いハードルを用意されている事に気づく。
前は期待値ゼロなので、そのハードルは今よりはずっと低い。
でも、あれだけの笑顔と歓声で迎えられると、
「ずっとCD聞いていたよ。映像も動画で見たよ。さぁやってくれよ。」
とお客さんの期待も大きい。
期待に満ちている人達を満足させるというハードルは、
ずっとずっと高い。

今回のメルボルン公演は3公演。
1本目がトリオだった。トリオ公演は完売していて、
アンソニーやサイモンを見るのを、
楽しみにしているお客さんもたくさんいた。
ステージ袖で円陣を組み、ステージに向かう。
ピアノに座り、一番最初に弾く一音目。
私はクラブ公演も大好きだけれど、
コンサートホールの、この一音目を弾く前の静けさが、たまらなく好きだ。
ステージも客席も、そこにいる人間の全神経が、一音目に注がれる。
これが、私と初めて行く場所のお客さんとの最初の接点だ。
ありったけの集中力と想いを込めて、一音目を弾く。
そしてそこからは、音楽と共に旅をする。
1曲目が終わった瞬間、わーっと拍手と歓声が聞こえて始めて、
やっとスタート地点に立てる。
そこからまた1曲1曲大切に紡いでいく。
1音1音が勝負である。

ライブ会場でステージの上に立つという事は、
言ってみれば船の船長みたいなもので、
乗船しているお客さんは運命共同体であり、
そのお客さんを、楽しい航海に連れて行く責任がある。
だからこそ、拍手や笑顔は、
お客さんがその旅を喜んでくれている証であって、
それを見るたび、ガッツポーズの気分になる。
この日のライブは、集中力が高く、冒険心に満ちたライブが出来た。
スタンディングオーベーションまでもらえた。
メルボルンでスタンディングオーベーションが起きるのは、
とても稀だそうで、
フェスティバルの人達も、みんな興奮しているのがよくわかった。

嬉しかったのは、完売まであと一息だった二日後のソロ公演が、
この日ライブが終わった直後に完売した事。
トリオで見たお客さんが、もう一度見たいと思って買って帰ってくれたのだ。
まるでデパートの実演販売だ。
ライブを見た二日後に、また同じ人を見たい!と思ってもらえるのは、
本当にうれしい。

そしてソロ公演。
もともとトリオとソロを、
セットでチケットを買ってくれている人もたくさんいたらしい。
実演販売で、買ってくれた人達もいる。
つまり、今回のハードルは、一昨日のそれより、さらに上がっている。
だって、一昨日見ているのだ。
トリオとソロ、違う形態だとはいえ、私が同じ人間なのには間違いない。
しかも人数的には-2。
ステージ袖で、円陣を組む人も、今日はいない。
1人で船長を務めなければならない。
「高いハードルだなぁ。。。」体中に興奮が走る。
ハードル上等。
ラウンド2!とどこからか声とベルが聞こえたような気がした。

意を決して、ステージへ。
出た瞬間、大きな歓声。
さらにハードルが上がる。
もうピアノがまるでラスボスのようだ。
映画だったら、ぺっぺっと両手につばでも吐くシーンだ。
全神経を集中させて、一音目を弾く。
1曲目が終わった時、勢い良くピアノから飛び出て、
お客さんに背を向ける形で弾き終えた。
その瞬間、背後から、わーっという歓声が聞こえた。
さぁ、スタート地点に立った。
だってハードルは上がっていくばかり。
1曲1曲、お客さんが私の演奏に慣れていくからだ。
それは、トリオでもソロでも同じ事だけれど、
トリオの時は、仲間が助けてくれる。
つまり、自分がゲームメイキングに行き詰まっても、
仲間にパスを出せたり、仲間がゴールを決めてくれたりする。
でもソロはそうはいかない。
行き詰まったら、ゲームオーバーだ。
ひとつひとつハードルを越えていって、最後の曲が終わった瞬間、
スタンディングオーベーションが起こった。
この瞬間、こぶしをあげていた。
何倍にもなった期待にきちんと応えられて、自分自身に勝てた瞬間だった。
音楽は、スポーツではない。スコアで出る「勝ち負け」は存在しない。
でも、毎ライブが「勝負」である事には間違いない。
だから、自分に勝てた瞬間に、
スポーツ選手と同じようなポーズを取ってしまうのは、
仕方ないのかもしれない。

次の日のトリオ公演は、スペシャルクラブセッションという事で、
200人程入るクラブで行われ、お客さんも近く、
とても和気あいあいとした、熱気溢れるライブだった。
MCで「絶対メルボルンに帰ってきます」と約束をした。
終わった後に、フェスティバルの人が、ブーメランをくれた。
「オーストラリアでブーメランをもらうと
、絶対帰ってくるという言い伝えがあるのよ」と言われた。
担当してくれていた女の子は、
「本当に素晴らしい5日間だった」と言って涙を流してくれた。
「メルボルンに住んで、ずっとここで公演して」という人までいた。
5日前、知らない国だったのは、もう信じがたい事実になっていた。
いつも奇跡のようだと思う。
「でも、行かなきゃ。旅は続くの。」寅さん風だ。

今はメルボルンの空港にいる。
これからメルボルン→シンガポール、シンガポール→フランクフルト、
フランクフルト→リズボン、リズボン→ポンタデルガダという、
計38時間の人生最大の移動をする。
メルボルンの空港でチェックインする時、航空会社の人に、
「ぽんたでるがだ?これは、どこにあるの?」と聞かれた。
「アゾレス諸島。大西洋の真ん中に浮かぶ島」
そう。アゾレス諸島でソロ公演。
とうとう、アゾレスを想って書いた「Islands Azores」が、
現地に降り立つときがやってきた。
だから、メルボルンへの想いは、一旦ここに置いて行こう。
また必ず来る事を信じて。
アゾレス諸島のために書いた曲を、現地の人達に初めて披露するという
新しいハードルが私を待っているのだから。

考えてみたら、バカみたいな移動時間だけれど、
何かに対してバカみたいに情熱を持てる事は、ありがたい事だと思う。
ライブは言葉の通り、LIVE、生きている事を感じられる場所だ。
携帯やパソコンでは絶対に得られないものが、
人と正面切って会うという事にはある。
「ガチンコ勝負」の大切さが、今の時代だからこそ、
際立ってきているのだと思う。
「生身の人間同士が向かい合う」という事は、
向かい合わないより傷つく事もあるかもしれないけれど、
心から絶対消える事のない思い出をくれる。
だから、バカみたいな移動をしてまでも、
振動を感じたくて、伝えたいんだと思う。
ハイテクな時代に、原始時代みたいな欲求だけれど、とても単純な理由だ。
私は演奏がしたい。

きっと、人生には常に、自分の前にハードルが置かれているのだろう。
明らかに目の前に置かれているものもあれば、
探さなければ見つけられないハードルもある。
そのハードルが、自分の仕事に関わるものならば、
それは必ず自分の仕事を、そして自分自身を成長させてくれる。
だからこそ、ハードルを見つける探究心と、それにわくわくする好奇心と、
そしてそれを必ず越えるという強い意志が、
常に必要なのだと思う。

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