2008年10日13日

「ほこり」

今年は、移動距離で言うと、
おそらく自分のツアー史上、一番マイレージを得ていると思われる。
南は南アフリカ、北はノルウェーまで行った。

南アフリカでは、行きの飛行機で隣に座った、
同じくジャズフェスに向かう途中だった陽気なアフリカ人のお客さんに、
Are you Hiromi?と聞かれ、
Yesと答えると、後ろに座っている友達らしき人に、
「ヒロミの隣に座っちゃったよー!」と興奮気味に話しかけていた。
写真を撮ってほしいと言われ、
24時間程の過酷な移動の後だったので、
私は、弱った虫のような顔をしていて、
さらに、たまねぎのような髪型だった。
が、潔くあきらめ、写真を撮った。
その人から、この間ファンメールが来て、
ひろみの写真をデスクに飾ってあるよ、ありがとう。との事だった。
アフリカ大陸のどこかに、たまねぎ虫が貼ってあるのか・・・、
と後悔の念も残るが、これもまた人生である。

ノルウェーでは、バーセという北極圏に近い町に行き、
そこに日本人が来るのが相当珍しかったらしく、
演奏終了後に、地元のテレビ局が来て、
「番組でフェスティバルを盛り上げたいので取材をしたい」
と頼んできた。
快くオーケーしたが、そのロケ地は、なんとタラバガニ漁だった。
地元の人が、最大のもてなしをしている所をテレビに撮り、
私がタラバガニを手に持ちながら、
フェスの感想を語るという、今になって冷静に考えると、
とても変なシチュエーションだった。
演奏終了後、直で、船に移動したので、
疲れで、あまり考える余裕もなく、
気づいたら、カニを手に持ち、インタビューに答え、
気づいたら、カニが茹でられ、
気づいたら、茹でたてのカニを食べていた。

年中時差ボケのような生活は、今日もまだ続いている。
こんな生活を続けていれば、
大抵の事には驚かないだろう、と思われるかもしれないが、
世の中には奇想天外な事が常に待ち受けている。

今はシカゴ。
1947年にオープンした、老舗のクラブで、4日間の演奏。
シカゴで演奏するのは、デビューした年に1公演して以来、初めてだ。
クラブの創立者のジョーは、82歳。
「ライブに勝る音楽はない」が口癖だ。
店内中に飾られたポスターや写真は、レジェンドのものばかりで、
当時のものすごいラインナップが伺える。

着いて、サウンドチェックをした。
まず、モニターがない。
モニターというのは、
私のように音量の大きめの電子楽器を使った音楽をやるバンドが、
ひとつひとつの楽器の音がよく聞こえるように、
各自与えられるスピーカーなのだが、
それがない。

レンタル会社からは、キーボード達が届いていた。
普通は、クラブにエンジニアさんがいて、
それが全部繋がって音が出る状態から、サウンドチェックを始めるのだが、
エンジニアさんが見当たらない。
いるのは、ジョーと息子の現オーナーであるウェイン、 そして、もうひとり、チャックという人。
私は、チャックがきっとエンジニアだろうとタカをくくり、
話をしていると、どうにも専門用語が通じない。
結局、レンタル会社の人を呼び戻し、
手伝ってもらうという事になり、待つ事になった。

開演時間は8時だ。7時50分になっても、エンジニアの人は来ない。
焦るウェイン。
様子を見に行ってみたら、
ウェインの友達っぽい人が、キーボードから出ているケーブルを
ステージ上で持って、右往左往している。
どこにケーブル繋げばいいの?と聞いている。
返答できる人間はいない。
どうやら、このクラブは、ピアノをハウススピーカーに繋ぐか、
ギターをアンプに使うくらいしか、
生音以外で音楽をやった事がないらしい。
そこに、私とフューズが来たら、もうペリー来航のようなものである。

ステージで、右往左往するウェインの友人は、
なんとフォトグラファーだった。
私が最初にエンジニアだと思ったチャックは、
ドアのチケット切りのおじさんだった。
というわけで、あとがない状態になった。
いろいろ考えて、二つあるギターアンプを、 ひとつ、キーボードに繋ぐことにした。
時間は、すで8時10分。
7時開場なので、当然お客さんもすでに座っていらっしゃる。

体裁を考えていても、始まらないので、
私はギターアンプをピアノ側に、よっこらしょと運び、
コードをピアノ後ろの電源に繋いだり、
ケーブル接続の配線をするために、ピアノの下にもぐった。
ステージ衣装で、だ。
お客さんの前で、ピアノの下をステージ衣装で徘徊したのは、 人生初めてだ。
このピアノの下というのが、なかなかほこりっぽくて、
くしゃみが出る。

「見ての通り、いろいろ問題があるので、10分ほど待ってください」と、
ステージからマイクなしで、私が声を張り上げる。
お客さんは笑っている。
ステージ上をハイハイしつづける私は、相当面白かっただっただろう。
でも、これもお客さんに、今出来る最大限の状態で、
音楽を届けるためである。
キーボードをギターアンプに繋げ、なんとか音がでる状況まで持っていけた。
これで、とりあえずお客さんには、
ピアノ、キーボード、ベース、ギター、ドラムのすべての音が、
ちゃんと聞こえる状態になった。
モニターがないので、自分たちに、音はよく聞こえない。
あとは、最終手段。
いつもの半分くらいの音量で演奏する事によって、
音を、自分たちにも聞こえるようにする、という事だ。
小さな音量で、エネルギーレベルはいつものように保つというのは、
細心の注意力と集中力が必要だ。
でも、もうそれしかないので、やり遂げるしかなかった。
いつもと違うアプローチでの演奏が始まった。

面白い!

なるほど。こういうアプローチになると、こういう展開もあるのか、と。
自分の演奏や、曲の広がりの、違った可能性に気づかされる。
1曲目が終了。お客さんは、大盛り上がり。
よし。

もう、ステ-ジ衣装で、ほこりをかぶった私に、何も失うものはない。
今持ってるすべてで演奏し続けるしかないのだ。
こうして、お客さんは、とても喜んで、一日目が終わった。
二日目には、小さいながらに、モニタリングシステムが導入されたが、
エンジニアさんがいない事には変わらないので、
ピアノの右足もとに、サウンドをコントロールする小さな箱を置き、
それを曲と曲の間に、みんなに、もうちょっとピアノあげて、と言われれば、
私が上げるという状況で、ピアニスト兼モニターエンジニアという
初めての職をこなしながら、演奏を続ける。

今までも、アップライトしかなかったり、
一番ひどかった時は、ピアノがなかったり、
備えあれば憂いなしの国、日本では考えられないような状況に、
何度も巻き込まれてきた。
が、あきらめた事は一度もない。
そこに来てくれたお客さんに、こういった様々な原因は、全く関係ないからだ。
あきらめたら、そこで試合終了とは、まさにこの事だ。
その度に、私は強くなっていく気がする。
どんなトラブルでも、そこで何かを学ぶ。

契約には、「すべての機材がそろっている事」というのが大前提事項としてある。
つまり、相手のクラブやコンサートのプロモーターが、
これを守らなかった場合、
(このクラブのように、初めての事なので、気づかなかっただけ、としても)
私には、「コンサートをしなくていい権利」というものが生まれる。
今までも、何度か「やめたら、どうか」と事務所の人間やバンドに言われてきたが、
でも、私は、この権利を行使した事は、今まで一度もない。
ほんとに、今日お客さんを笑顔にする事が不可能なのか、 自分を試したいからだ。
いや、単に往生際が悪いだけかもしれない。

もちろん、最高のピアノで演奏できるのは、この上ない幸せだし、
お客さんに、最高のクオリティーで音楽を届ける事ができる。
でも、それが叶う場所ばかりではない。
ピアノの下に潜って、配線をする事も、
やって失うものなんて、自分のプライドだけだ。
演奏をする誇りは持ち続けるべきだが、変なプライドはいらない。
9回裏、ツーアウトツーストライクのような状態でも、
逆転満塁サヨナラホームランを信じて、
全力投球するしかないのだ。

ほこりをかぶって、誇りを守る。
だじゃれのようになったが、まさにそのままだった。
小さな日本人は、大きな世界で、
時には無駄にさえ見えそうな抵抗を、し続ける。

ただ、その日、演奏がしたいから。

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