2008年4日30日

「横綱と十両」

2008年4月30日、武道館。
あんなにたくさんの人を目の前にしたのは生まれて初めてだった。

何か不思議と周りがそわそわしていた。
いよいよ武道館なのだ、と。
やはり、「武道館でやる」というのは、一大事なのだと、思い知らされる。
私にとって、それが50人の場所であろうと、
5000人の場所であろうと、
気持ちは常に同じでいようと心がけている。
すべてのコンサートは一期一会。
50人の場所だから、準備を怠ったり、
5000人の場所だから、より準備をしたりする事はない。
いつも、どこでも、ベストを尽くせなければ、その瞬間がもったいない。
語りかける相手は、ひとりひとりだからだ。

今回、武道館をやる事が決まってから、
同じ質問を何度かされた。

「自分が武道館の舞台に立つと思いましたか?」

私自身、「ひとつでも多くのライブを!」という気持ちはあっても、
「どこどこの舞台に立ちたい」という欲望が、全くないので、
正直、考えた事もなかった。
私にとって武道館といえば、法政大学の入学式の会場で、
大学生になって大人ぶりたかった私は、
初めて10cm近いヒールを履いて、入学式に出かけ、
足が靴ずれだらけになり、靴を履いて歩けなくなって、
武道館から市ヶ谷の校舎まで、
泣く泣く裸足で歩いた思い出しかなかった。

やけに緊張している家族。
今までなかった量の友達からの激励メール。
それで私は、武道館という場所の持つ「何か」を感じた。
1月に武道館ライブが決まってからと言うもの、
何かあれば武道館の話題だった。
私の前には、まだスイス、香港、カナダ、南アフリカ、アメリカ西海岸と
たくさんのライブが目の前にあり、
そのひとつひとつに目標を定めなければ、そこの人達に失礼なので、
正直武道館の事は考えないように、逆に暗示をかけていた。
西海岸ツアーが終わり、
やっと武道館の事について考えられるようになった。
チックと曲の相談をして、どうやったらいいライブになるか、と考えた。
とはいっても、ほとんどがインプロビゼーションなので、
特にこれといって準備できる事はないので、
いわゆる、千本ノック的な基本練習をする。

前日。
友達からの激励メールが増える。
「いよいよだね」とか、「がんばって」。
周りの興奮と緊張に包まれる。

当日。
武道館到着。
だぁーっと大きく広がる会場に、2台のピアノ。
ピアノがこんなに小さく見えたのは初めてだった。
会場のすべての階からの見え方をチェック。
どこから見ても小さいピアノ。
あれだけ小さなボディの中に、秘めた可能性はすごい。
その可能性をどれだけ引き出せるか、いや、弾き出せるかの、
実験が行われようとしているようだった。

チック会場入り。
最近どう?と、会話をするのも束の間、
それからすぐ2時間くらい演奏し、気持ちを同じ地点に合わせる。
ミュージシャンと久しぶりに会うというのはいつも不思議で、
少し演奏している間に、
なんとなく最近のその人がどんな気分かがわかる。
チックは、ご機嫌だった。
本番でやる以外の曲も遊んで弾くくらい盛り上がってリハが終わった。

そして本番。
ステージのそれぞれの両端にチックと私がスタンバイする。
そして、ステージへ。

想像を絶する人の数。

その時、やっとわかった。
どうして、みんながあれだけ緊張していたのか。
激励メールを送ってきたのか。
そう。謎は解けた。

人のエネルギーにかなうものは、世の中に存在するのだろうか。
たくさんの笑顔が見える。
その人達を見た瞬間、涙腺がゆるんだ。
ありがとう。ありがとう。と何度もつぶやいた。
GW前で、仕事を片付けなきゃいけないこの日に、
仕事を早く切り上げて来てくださった方も多いだろう。
中には、またコンサート後に仕事に戻る人もいるだろう。
あの数の人の発するエネルギーは本当に想像を絶する。
くらくらしそうなくらい、まぶしい光がそこにあった。

本番は、その光に守られながら、
こめかみが筋肉痛になるくらいの集中力を用いた2時間だった。
途中、チックが私の隣に来て、連弾になる瞬間があった。
その時、17歳の時の映像が自分の頭の中によぎった。

懐かしい感覚。

あれから12年。

まさか、12年後に、武道館でピアノ2台で演奏する事になるとは、
思いもしなかった。
そして、チックは12年前にやったのと同じように、
私をひとりピアノに残し、ピアノの周りを歩いて行った。
チックは、覚えていないだろうが、
12年前にも、チックはいきなり立ち上がって、
「ヒロミ!ソロ!」と言って、
タンバリンを叩きながら、ピアノを周りを歩いて行った。
私は、いきなりひとりになって、わけもわからず、
必死で弾いていた記憶がある。
今回は、周りを歩いていくチックを見て楽しんで演奏が出来て、
12年やっていて良かった、と心底思う事ができた。

もちろんまだまだ無我夢中だ。
なんてったって、しょせんは若造。
60代の大御所と同じ余裕は、皆無。
それもまた勉強。
でも、12年前よりは少し余裕がある。
ひとまわり分の成長を自分なりに感じる事ができた。

この「余裕の差」が、
私とチックのデュエットの一番の面白さなのかもしれない。
ドーンと構えた横綱チックと、
ひたすら食らいついていく十両ひろみ。
横綱同士でも、十両同士でも創りだす事のできない調和がそこにある。
音楽のキャリアはきっと相撲の番付みたいで、
私は、12年前は関取ではなかったのだろう。
やっと十両まで来た。
もちろん、誰でも大関横綱になれるわけではないけれど。
一歩一歩だ。
次は、「前頭」まで進めますように。

武道館パワーは大きい。
終わってからも、しばらくぼーっとして、
あの「光」の感触を思い出していた。
余韻にひたっていたいところだが、
十両にそんな贅沢は許されない。
次の日、アゾレス諸島のファイアル島という、
大西洋の真ん中に浮かぶポルトガルの島で演奏するために、
30時間近い旅に出た。
武道館の公演後、洗濯をし、パッキングをし、
その瞬間に、武道館の余韻はすべてリセットして、
アゾレスの島で待つ人達のために、
全身全霊を捧げた。
そして、今は飛んでイスタンブールにいる。
今日もライブ。
十両の挑戦は続く。

PAGE TOP