2007年7日10日

「そこにピアノがあるから」

今回のツアーは、自分史上、最長移動距離だった。
アメリカーイギリスーカナダースペインースイスーイタリアを、
2週間半で回った。
時差ぼけはもちろん、
終演時間が遅いにも関わらず、移動時間が早朝だったりして、
ここで1時間、移動で2時間みたいな、こまぎれ睡眠を繰り返した。
いろんな国で、いろんな文化に触れ、
毎日たくさんの笑顔に出逢ったが、
最後のイタリア公演は、思い出深い場所となった。

最後の公演は、ナポリ近くのサレルノという街で行われた。
前の日に公演のあった、サンテルピディオから、
ローマ経由で、電車で6時間かけて、イタリアを縦断。
到着すると、そこは海。
太平洋沿いの浜松で育った私には、たまらない環境だ。
潮の香りがすると、とても懐かしい気持ちになる。
来た事もない街で、懐かしい気持ちになるのは、いつでも不思議だ。

翌日、朝の10時にサレルノのプロモーターと、
演奏当日のスケジュールを簡単に話し合うミーティングがある予定だった。
連日の移動の疲れ&時差ぼけから疲れきっていたが、
なんとか寝ぼけまなこで、ロビーに向かう。
そこで、私が見たものは・・・。
テレビカメラと、新聞記者達総勢10名程である。

「取材があるなんて、聞いていないけど?」
「ははは」とただ笑うプロモーター。
とりあえず、撮影は無しにして、と交渉するが、
英語がほとんど話せないプロモーターには、なかなか通じない。
目を離すと、こっそり撮っているテレビカメラ。
仕方ないので、部屋に戻り、着替え、メイクをして、
また戻ったら、なんとテレビカメラが4台に増えていた。
良かった・・・。着替えて良かった・・・。
部屋着&スッピン&寝ぼけ眼のどうしようもない状態で、
イタリアのテレビに出る所だった。
危機一髪。

最初の質問は、
「なぜ、あなたははるばるこの街まで来てくれたの?」
であった。

確かに、別に大スターでも何でもないのに、
テレビが4台、新聞記者10人は、おかしい。
どうやら、私は、アメリカからはるばるアーティストが来ることなど、
ほとんどないような場所にいるらしい。
考えてみれば、ホテルに英語を話す従業員は一人しかいないし、
その一人も、かなりのカタコトであった。
インターネットを繋ごうと思ったら、
ネットケーブルが、なんとホテルにたったの1本しかないという事態もあり、
バンドで1本をシェアして使った。
おかしいフシはたくさんある。

私は、登山家のように
「そこにピアノがあるから」と答えた。
どんな街かというインプットも全くないまま、この街に来て、
こんな扱いを受けるとは思いもしなかったが、
なんで来たかと聞かれたら、「演奏できるから」ピリオドである。
記者の人に、何度も「この街に来てくれて、ありがとう」と言われ、
取材は終了。
プロモーターの人に、会場のおおまかな立地を聞くと、
ホテルから見えるというので、外に出て、見てみる。
「あれだよ」

!!!

指差された先には、なんとお城。
「お城の上でやるんだよ」
このお城は、なんでも11世紀からあるらしい。
まさに、タイムトラベルである。
お城の上での演奏・・・。
その瞬間に、不安がよぎる。
ちゃんとした、サウンドシステムはあるのだろうか。
サウンドをきちんとできる人はいるのだろうか・・・。

不安を抱えながら、サウンドチェックに行くと、
大体いつも、その不安は的中する。
ケーブルはない、モニターは壊れてる、
ジャカルタ以来の散々な状況である。
かろうじて、ピアノはあった。これまた、ひどい状況。
炎天下の中、カバーもしてない。可愛そうに。
暑くて、これでは、ピアノもゆだってしまう。

時間はどんどん演奏時間に迫ってきても、
まだケーブルがなかったりする。
ここでは、かなり「悪い人」にならなければならない。
何度も何度も、声を荒げて、やっと要求が通るのが、
こういう場所だ。
みんな、あまり経験がないのか、あたふたしている。
誰かが、仕切らなければならない。
結果、現場監督を、私が仕切る形になる。
モニターから音が聞こえる状態に、やっとなり、
なんとかサウンドチェックをギリギリの状態で切り上げる。
そして、本番。

お城に人が集まる。
私は、この、どうやらあまりイベントなどない街に来て、
お城の上で演奏するのだ。
なぜ、私は今、このお城の上にいるのか?
答えは、また同じ。
「そこにピアノがあるから」

演奏が始まる。
ライトアップされた、お城。
11世紀からあるこの場所で、演奏する。
「TIME TRAVEL」という曲を演奏した時、
今まで受けた事の無いレベルのインスピレーションが、自分の心を打撃した。
昔も、ここできっと、様々な会合が行われていたに違いない。
時には舞台なんかも行われていたかもしれない。

目の前には、教会、
見上げれば、星空。
耳を澄ませば、波の音。
そして、街の人。

演奏を開始。
これだけ小さな街で、ほとんどコンサートなども行われない場所だと、
お客さんは、ほとんどジャズを耳にする事もない。
しかも、なんとなく雰囲気で「ジャズ」というものを理解しているお客さん達にとって、
「ジャズコンサート」という名目で一応掲げられているコンサートに来て、
私の音楽を聴くと、宇宙人に襲撃されたような感じになる。
いきなり、宇宙人が、お城の上に降りて来て、
何やら演奏を始めたが、
これは、今まで見た事も、聞いた事もないような、ものである。
会場全体が、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしている。
1曲目が終わって、会場がひとつになるいつもの感覚とはほど遠い。
終わった瞬間は、「いきなり宇宙人にさらわれた」ような顔をしている。
目がバッテン、口はあんぐり。

とりあえず、メンバー紹介をしてみるが、みんな口が開いている。
そして、プログラムは進む。
前の方の、若い衆(あえてこう呼ばせてもらいたい)が、
体を揺すって、乗っている。
曲が終わると、ヒューと歓声もあげてくれて、
彼らは、こういう音楽も、親しみがあるのかな、と思っていた。
しかし、そんな考えは甘かった。
ソロ曲を演奏しだした時だった。
この若い衆が、とんでもないところで、手拍子を始めた。
えー!
もう、心は、えー!?で一杯である。

手拍子を好意でしてくれている人達に、敵意のまなざしを送るか、
この手拍子をうまく利用するか、ふたつにひとつである。
私は、後者を選択。
宇宙人と地球人が和解するには、これしかない。
手拍子にうまく合わせながら、おもしろいプレイが生まれる。
終わったら、「BRAVA!」と歓声が飛び、大きな拍手。
宇宙人と地球人の間に、友好条約が結ばれる。
そして、その次に、後の3人の宇宙人が戻ってきて、演奏しても、
この友好条約は保たれ、
コンサート終了後には、スタンディングオーベーションとなった。

11世紀のお城での戦い。
いろいろな戦いがこのお城で行われただろうが、
1000年後に、このような戦いが行われるとは、
当時の兵士も思っていなかっただろう。
小さな日本人が、この街に来て、お城で、ピアノを武器に、戦う。
振り返ってみれば、サウンドは最悪、プロモーターは英語ができず、
機材もそろわず、散々だったが、大きなものを得た。
やっぱり、諦めたら終わりです。
どこでも、ギリギリまで頑張らなきゃいけない。
この人達とは、もう一生逢う事はないかもしれない。
だったらせめて、
「今日は彼女の演奏のおかげで、いい日になったなぁ」
と思えるような日を、創り出したい。
お城のふちに座って、海を眺めて、
「はるばる、ここまで来たなぁ・・・」と思っていると、
初老のおじさんが話しかけて来た。
「君を見るのは3回目だ。君の事が大好きだ」
とカタコトの英語で言ってくれた。
「一度目は、オルビェト、二度目は、ペルージャ、そして、
とうとう僕の街まで来てくれたね」と。
オルビェトは、私がプロになって、初めてライブをした場所だ。
2002年12月。アマッドジャマルの前座を努めた。
彼は、きっと、アマッドのファンだったに違いない。
そこで、私を見つけてくれて、5年経っても、私を見に来てくれた。
このおじさんに恩返しをする意味でも、ここに来れて良かったと思った。
こういった出逢いがあるから、また旅は続く。
そして、また海を渡る。
そこにピアノがあるから

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