2006年6日20日

「50年の重み」

今日は、秋吉敏子さんの渡米50周年を記念するコンサートが、
ここNYで、JVC JAZZ FESTIVALの一環として行われた。
私は、このコンサートのオープニングアクトの一人として、参加させて頂いた。

50年。
渡米して、50年。
なんて、長い期間だろう。
日本女性が、50年前の時代に、ひとりで渡米し、
ジャズ界で生きるという事が、
どれくらい過酷な事かなど、想像もできない。

私は今日秋吉さんのコンサートをずっと脇から見ていて、
涙が止まらなかった。
彼女の音が、背中が、いろいろな事を語っていた。
そして、脇には、彼女が渡米した時からずっと彼女を見守ってきた、
アメリカジャズ界のドン、現80歳のジョージ・ウェインもいて、
白いスーツに身を包み、ステッキを持って、座っていた。
彼女を、これ以上なく優しく、愛おしそうな目で、
ずっと見つめていた。
格好良すぎる80歳である。

秋吉さんは、日本人ミュージシャンにアメリカへのドアを開いてくれた第一人者だ。
何もないところに、道を作っていくという事は、想像を絶する大変さだろう。
今日、私はステージに立っている時、
彼女の過酷な苦労のおかげで、ここに立てている、と痛感した。

彼女が渡米したのは、1ドル360円時代。
考えれば考える程、信じられない。
よく、雑誌の取材などで、
「アメリカでひとりで生活していて、エライですね」と言われる。
エラくなんか、ない。
秋吉さんの時代の苦労に比べたら、
私の苦労なんて、ちゃんちゃらおかしいのである。
だって、今は、私が世界のどこにいたとしても、
メールの普及などのおかげで、
どこにいても家族友達と繋がれる。
「本当の孤独」を感じる事は少ない。
でも、彼女の時代は、電話はべらぼうに高かっただろうし、
手紙しかない時代だ。
しかも、今より届くのなんて、倍以上遅かっただろう。
その中で、生き延びて来た彼女。戦ってきた彼女。
敬礼するほかない。
どんな言葉も陳腐に聞こえる程の、
想像を絶する根性だ。

彼女の50年間の頑張りは、
今の私を叱咤激励する。
彼女の強いられた環境を考えると、
私の周りに起こるどんなトラブルも、
黙ってこなせ、という感じである。

だって彼女は、ほんとに輝いている。
ハイヒールを履いて、ダンッダンッと床を蹴り、
キラキラのドレスを着て、生きたピアノを弾く。
茶目っ気たっぷりで、可愛くて、素敵で、カッコイイ女性だ。
今日一番刺激を受けたのは、
50年間の偉業をたたえる事で感動するのはもちろんだが、
これからさらにどんどん行くよ!という、
60周年記念コンサートを楽しみで仕方なくなるような演奏を、
目の当たりにした事である。

私が今アメリカに渡って7年。(←数字にすると、この上なく未熟者)
つまり、あと43年で50周年。
そうすると、私は70歳になる。
70歳になった時に輝けるかどうかって、
きっと今の一日一日にかかってる。
毎日、地に足をつけて、しっかり踏ん張って、歩こう。

今、私の音楽を聴いて下さっているみなさん、
私が70歳になった時、もしまだ私の音楽を聴いてくださっていたら、
例え杖をついて来ても、ライブでは、席で杖をオーって空中に上げて、
生きる喜びに溢れた人生を一緒におくれたら、本当に嬉しいです。
きっとそういう生き方ができたら、
何歳でも、「まだまだこれから。」って言えるような人生を
過ごせると思うから。
私、がんばりますから!適度に運動をして、健康管理して。
日本はこれから高齢化社会。
80、90歳になっても、やけにみんなノリノリで、
他国の新聞に「日本の高齢者はスゴイ!」って
取り上げられるような国にしていきましょう。
お茶飲むのもよし!
黒酢飲むのもよし!
ウォーキングもよし!
でも、きっと一番大切なのは、
心がドキドキときめく瞬間を追い求めて生活する事だとおもう。
だから、私はライブをし続ける。
80になっても、真っ赤なスニーカー履いて!

秋吉敏子さん。
本当にありがとうございました。
次は60周年記念コンサート。
きっと、またボロ泣きすると思います。
あなたの作ってくれた、ロングイェローロード*を、
毎日全力疾走します。

*ロングイェローロード=秋吉さんの名曲。

PAGE TOP